諦める力 / 為末 大
世界陸上の400mハードルの銅メダリストの為末さんの著書。「勝てないのは努力が足りないからじゃない」と副題がついているように、「努力をすれば夢がかなう」という一般的な考え方に異議を唱える内容です。
「諦める」という言葉は、いまではマイナスの響きを持っていますが、もともと仏教用語では「明らめる」、明らかにするというポジティブな意味の言葉だとのこと。諦はさとりの意味もあります。本文の中でも、自分の苦手なことや他の人の方が得意なことは諦めて、自分を知り、自分の得意なことに集中していけば道が開けるという意味でポジティブに捉えられています。
為末さんは早熟な選手で、中学から高校にかけて100mで日本一だったそうですが、故障もあり高校三年生の大会で先生に100mの出場を止められ、自分を客観的に見つめ直して100mでは今後は勝てないことを悟り、勝つために100mを諦めたそうです。世界の大会で外国人選手も見る中で、自分が勝てる分野として400mハードルを選んだとのこと。
また、トップアスリートの世界は厳しい練習やストイックな生活が修行に近いからか、哲学的で宗教的な悟りに近い言葉が出てきます。世界でトップを争う中で、絶対的な才能や身体能力の違いを外国人選手に見せつけられた際に、「努力すれば夢はかなう」という一般的な言葉は薄っぺらなものとなり、「絶対的な差がある中で、何を諦めて、勝つためにどうすればいいか」を考えない限り前に進めない状況に追い込まれます。その際に、才能や身体能力の差は「諦めて」、できることを探す方が結果的に前に進めることが書かれています。
また、お母さんからいつも「陸上なんていつやめたっていいのよ」と言われていたことが気持ちの余裕を生み、長く陸上を続けられる力になったとのこと。「一番を目指して頑張れ、もうちょっと頑張ってみたら」と言われていたら、追いつめられて結果を出せなかったり、続けられなかったのではという話は納得させられました。
北野武さんが子どものころ何かになりたいと母親に言ったとき、「バカヤロー、おまえがなれるわけないだろ」と言われたことに対して「そういう優しい時代もあったんだよ」とコメントしているのを見て、為末さんは分析します。「何にでもなれる無限の可能性を前提にすると、実現するかは本人の努力次第という話になるが、『そんなものにはなれない』という前提だと、もしなれなくても誰からも責められないし、もし実現すれば褒められる。それを『優しさ』といったのではないだろうか」と。
他にも「他人が決めたランキングに惑わされない」、「人は万能ではなく、世の中は平等ではない」、「自分にとっての幸福とはなにか」など、情報が多く惑わされやすい現代の人がほっとする言葉がたくさん出てきます。日本人は欧米の人に比べて、自分とは何かを見つめて自分の方向を選択する機会が極端に少なく、就職活動の時期に初めて考えてもすぐに分からないことが難しさにつながっているとのこと。大企業指向とか優良企業指向などの世間の情報に踊らされるのではなく、早くから自分を見つめて苦手なことや世間では評価されているけれど向いていないことを「諦め」自分の方向性を明らめるようにすれば、人生がよほど楽で充実したものになるのではとの意見には納得させられます。
自分の方向性を模索中の大学生や若い人にはもちろん、子育て中の親にとってもとても参考になります。わたしも40代ですが、もう少し自分を明らめた方が、努力の方向性が絞られて、実り多くなるかと思いました。とても読みやすく面白い本なのでオススメです。気軽に手にとってみてください。
(プレジデント社)
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