蓮華王院三十三間堂/京都
忙しい仕事の合間をぬって、用事も兼ねて2月後半に京都に行ってきました。まず訪れたのが蓮華王院三十三間堂。千体の千手観音がある見応えのあるお堂です。修学旅行の定番コースなので訪れた方も多いのではないでしょうか。
多くの仏像を納めるため非常に長いお堂です。学生時代にタイの留学生を案内した際には「東大寺の大仏殿よりこっちの方が大きくて迫力がある!」と興奮していたのを思い出しました。この地には後白河上皇が院政を行っていた法住寺殿があり、平清盛が三十三間堂を献堂したのが始まりで、一度焼失後、鎌倉時代に再建されました。鎌倉時代を代表する建築のひとつで、質実剛健な鎌倉時代の特徴がよく現れたお堂です。 今回はあいにくの雨でしたが、ちょうど梅の花がきれいに咲いていました。
時代が下がって桃山時代には、豊臣秀吉が建立した方広寺の境内となり、今もその遺構の南大門と太閤塀が残っています。方広寺といえば、大仏殿の梵鐘の銘が問題となり、大阪冬の陣の発端となった話は有名ですね。
三十三間堂といえば、やはり何といっても千体の千手観音と二十八武衆など国宝の仏像が見所。千手観音はもちろん壮観ですが、風神・雷神をはじめとする二十八武衆が、質実剛健な鎌倉彫刻の特徴がよく出ていて味わい深くオススメです。
若いときには仏像の迫力や美しさのみに目が行くものでしたが、少し歳を重ねてみると、内面的な表情に深い印象を受けます。二十八武衆の仏様は一様に悲しみの表情を浮かべているので、なるほど「慈悲」というけれど、慈しみと悲しみは表裏一体なのかなあと、新たな感慨が起こってきました。
彫った仏師の力量にもよるのか、二十八部衆の仏様の表情も様々ですが、特に深い表情の仏様は非常に業が深い印象があり、「なるほど、何不自由なくまっすぐ育った人よりは、深い業を背負ってそれを乗り越えて悟りを開いた方が、多くの人を救える力になるのかなあ」と、そんなことも感じました。
静かに仏像を見ていると、自分の内面と向き合う時間が取れるのでオススメです。
武士が新たに勃興してそれまでの社会の枠組みが壊れた平安末期のように、現代もインターネットが勃興してこれまでの国境に意味がなくなったり、国家と大企業中心の枠組みが壊れようとしているので、三十三間堂が建立された時代が現代を生き抜くのに参考になるかもしれませんね。
<三十三間堂の公式ホームページはこちら>http://sanjusangendo.jp/index.html
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