新見荘~中世荘園の記憶~
今回はかなりマニアックな展覧会のお話し。岡山県立博物館で開催中の特別展「新見荘」についてです。新見荘は、現在の岡山県新見市にあった荘園です。京都の東寺に伝えられた2万5千通の古文書である国宝「東寺百合文書」をもとに、中世の暮らしが見えてくる展覧会になっています。ダンボール二箱ほどの当時の行政記録ですが、世界記憶遺産に登録されたんですね。
荘園というのは、かなり分かりにくくて、学校の歴史の勉強ではなかなか理解できませんでしたが、その後読書を重ねると、およそ次のような流れだと思います。古代は地方の豪族が支配していた土地を、奈良時代に国が統一して治めるようになりました(現在と同じですね)。より開墾が進むように、自分で開発した土地は自分で治めて良いことにして民間活力で開発する動機付けを行い、荘園が発生します(これも最近と似ていますね)。それに加えて、平安時代後半は治安が悪くなり、争いもふえて、全国各地の土地を有力貴族や大きな寺社に寄進して保護を受けるために、荘園が急増します。本来は、国に税金を納めるのですが、有力者の管轄に入ることで、プラスの手数料を納めれば保護してもらえるイメージでしょうか。
そして、源平合戦が起こり、平氏が負けて鎌倉幕府ができ、各地に守護・地頭が置かれます。何となく学校の歴史だと、その後は鎌倉幕府が中央政府として全国を治めたイメージですが、実際は違い、鎌倉幕府が管轄しているのは平家没官領という敵方から没収した土地と東国の武士たちだけで、西日本の多くの土地は、京都の天皇や貴族を中心とした従来の政府が治めているんですね。さらに、武士が発展し、周囲の土地を力で少しずつ支配するようになっていくと、もともと治めていた貴族や寺社と対立し、裁判が起こります。鎌倉時代後半には、下地中分といって、もともとの管轄主の貴族や寺社と新興武士で土地の支配権を折半するようになるので、同じ荘園に線引きをして、二人の支配者がいるようになります。
今回展示されている国宝「東寺百合文書」は8世紀から18世紀までの千年の記録で、新見荘の中世の姿が浮かび上がります。絵図があり、どの地域を誰が治めているか、それぞれの年貢(税金)は、何をどのくらい納めているか(漆なども納めています)。当時は定期的な市が立ち、人が大勢集まるようになっていたので、政情不安定なときは、ここから一揆が起きるだろうという担当者からの報告など、中世の暮らしが見えるような感じです。
東寺の荘園の人たちが、室町幕府から派遣された武士を追い出して、今後は東寺が直接代官を派遣して欲しいと決めたことや、最初の代官が派遣されてきた年は天候不順で作物ができないので年貢を少なくして欲しいと要望している点、代官の方も、最初にゆるめると翌年も同じ要求が出て習慣化するので、一生懸命年貢の取り立てを行っていることも記録されています。そして、民衆の要望を聞き入れず、厳しい取り立てを行っていると事件が起きます。なんと代官が殺されてしまったのです。最初は、個人的なトラブルで殺害されたという住民の報告が上がりますが、容疑者は住民全体がかくまって出てこないなど、生活に困った民衆が団結して起きたように見えてきます。そして、事件の真相は。。。
文書中心の一見地味な展覧会ですが、よく読んでいくとなかなか面白いです。生の資料で歴史を知るのは面白いですね。文書以外にも、博物館収蔵の土器や当時の暮らしの道具なども展示されています。会期も明日までですが、お近くの方は、オススメですよ。
<岡山県立博物館のホームページはこちら>http://www.pref.okayama.jp/kyoiku/kenhaku/hakubu.htm
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