吉備津神社(国宝)で初詣
備中の国一宮の吉備津神社(岡山市)に初詣に行ってきました。この辺りは、古代から吉備の国(備前、備中、備後、美作、に分割される前の国の名前。播磨も吉備の国だったという説もあり。岡山から広島県西部、兵庫県東部にまたがる非常に強い国でした)の中心地で、その勢力の名残もあり、国宝の非常に大きな社殿があります。「吉備津造り」というユニークな社殿で、一般的な春日造りを二等連結して巨大にしたような、全国でここだけにしかない形式です。現在のものは室町時代の足利義満による再建です。
神社の社殿は一般的に小さいものが多く、伊勢神宮なども神域は広いですが、社殿自体は小さく簡素なものです。ここ吉備津神社をはじめ、広島の厳島神社、島根の出雲大社と日本の三大社殿は中国地方に集中しています。大きな社殿をつくるには財力がいるので、中国地方には大きな勢力がいたことの証しでしょうか。同じような大きな社殿は、京都の八坂神社くらいですね。
通常はお正月の三が日にお参りすることが多いと思いますが、我が家は人混みをさけて、10日頃にお参りするのが恒例。今年は新年らしく着物でお参りしたので、上がりやすい回廊を通って参拝しました。
まずは、本殿にお参りした後、今年は妻が後厄なので、厄払いのご祈祷を受けました。その後でお札を購入。お札の袋には桐の紋。本殿の屋根の上にも菊と桐の紋が上がっています。菊は天皇家の紋ですが、桐は豊臣家の紋です。関ヶ原の戦いまで岡山を治めていた戦国大名の宇喜多秀家は豊臣秀吉とつながりが深かったので、改修などで助力があったからなのでしょうか。調べてみると、桐の紋は天皇家の替え紋という非公式の紋で、藤原氏など時の有力者に与えてきた歴史があるそうです。それで桃山時代には豊臣家に与えられたのですね。今の内閣府や政府も使っているとのこと。吉備津神社は非常に位の高い神社で、吉備の国の豪族は、大和の豪族と協力して大和朝廷の前身を造った功績があるので、昔から与えられていたものかもしれません。
ご祈祷の後は、毎年恒例のおみくじ。私は今年は半吉でした。気を引き締めていきなさいということですね。読んだ後はお供えして帰ります。
帰りは表側の参道から。お正月は屋台もたくさん出ているので、たいやきを頂いてから帰りました。お参りも済んだし、今年も頑張っていきたいと思います!
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