「米内光政」 / 阿川弘之
先日亡くなられた作家の阿川弘之氏の追悼記事を新聞で読み、手に取った一冊です。米内光政は、海軍を一度は退役間近となりながら、太平洋戦争の足音がし始める昭和10年代に平和派・開明派として見いだされ、海軍大臣・総理大臣を務めて戦争防止に働きかけ、信頼が厚かった昭和天皇の指名を受けて最後の海軍大臣として終戦の方向性をまとめた人物です。公正・無私で世界の状況を冷静に観察し、欧米と戦争をしたら必ず負けると、陸軍や世論が戦争に傾く中で、山本五十六、井上成美と三人で命を張って反対しました。
作者は戦前の生まれで学徒兵として戦争も体験しています。そうした当時の状況を知る者が書いた内容で、戦争に向かう経緯や当時の空気感、敗戦や戦後の状況など、濃密な内容と体験を踏まえた反戦への深い想いがこもった一冊です。
戦争前後の様々なエピソードも書かれています。米内は、二.二六事件の際に横須賀鎮守府司令長官として反乱軍の鎮圧に当たり、東京湾に戦艦長門以下の艦隊を並べて陸軍の若手将校に占拠された国会議事堂に砲門を向け、事態の推移によっては国会議事堂が3秒で消滅するかもしれなかったこと。日独伊三国同盟に総理大臣として反対し内閣総辞職に追い込まれた際に、海軍次官だった(平和派の)山本五十六を連合艦隊司令長官に送り出し、理由を聞かれたら「無理に山本を(次官に)持ってくると、殺される懼れがあるんでねえ」と答えたこと。戦争前に海軍が図上演習(シミュレーション)をしたら、何度やっても「緒戦は勝つが、しだいに艦隊が全滅となり、日本の国土全体が攻撃にさらされ演習中止となる」が、実際に開戦したらその通りにことが運んだこと。昭和天皇と元老を中心に終戦の方向性を決める頃には、各地の戦線で敗退し日本全国が空襲にあっているだけでなく、秋には全国で餓死者が出はじめる報告が中央に上がっていたこと。ポツダム宣言を受諾した8月15日の終戦後に、連合軍の日本進駐の打ち合わせのための使節団を派遣する際に、終戦に承伏していない各地の部隊に攻撃される恐れがあるから使節団の飛行機は飛行経路を秘密にし、日本各地の航空基地を避け、途中からアメリカ軍の飛行機に守られながら沖縄経由でフィリピンへ向かったこと。などなど、平和な現代からすると、想像もできないようなエピソードもたくさんあります。
とはいえ、米内光政の穏やかな性格が示すように、本書全体はおだやかなエピソードが満載の読みやすい内容です。「米内光政は国に事がなければ、或いは全く世人の目につかないままで終わる人であったかもしれない」という人があるように、有事と平時では求められる人物像が異なるのかもしれませんね。(日露戦争の日本海海戦時で有名な東郷平八郎元帥も退役寸前で、平和なままでは誰にも知られなかった人物でした。)
終戦後に陸海軍の高官が続々と戦犯に指名されるなか、アメリカ軍の将校が「米内大将については、自分たちの方で生い立ちからすべて調べてある。命を張って三国同盟と対米開戦に反対した事実、終戦時の動静、全部知っている。米内提督が戦争犯罪人に指定されることは絶対あり得ない」と言うように、指名されることはありませんでした。海軍省廃止の際に宮中に召され、昭和天皇に「米内にはずいぶん苦労をかけたね。これからは会う機会も少なくなるだろう。健康に呉々も注意するように。これは私が今さきまで使っていた品だが、きょうの記念に持ち帰ってもらいたい」と、筆も墨も未だ濡れている硯箱から手ずから蓋をして渡されたエピソードも印象に残ります。
アメリカと中国の対立や、先日の安全保障法案の通過など、世界の状況が以前に比べて不安定になり始めているこのごろ、以前の戦争を振り返ってみるのも悪くないかもしれません。ひとりの人物の伝記としても読みごたえのある内容なので、秋の夜長に一冊どうでしょうか?(新潮文庫)
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