清張さんと司馬さん/半藤一利
このところ仕事が忙しかったのと、ここ数年の疲れがたまって一ヶ月ほど本が読めなかったのですが(本当に珍しいことです)、復活第一冊目です。
文藝春秋で長く編集者をされ編集長も務めた昭和史の大家、半藤一利さんが編集者時代の松本清張と司馬遼太郎のエピソードを綴りながら、両作家の実像に迫るエッセイ集。「虫の眼」清張と「鳥の眼」司馬という視点の違いはありますが、二人とも新聞記者出身で、膨大で綿密な取材と考察の後に上澄みだけをすくって小説になるという姿勢は、他の創作活動や仕事にも通じるので参考になります。お二方とも仕事の鬼で、ほとんど他の遊びをしなかった点も共通するところ。
取材旅行に同行した際に、お酒を飲まない清張さんは、食事をさっと済ませると仕事の話に突入することが毎晩続くので、酒飲みの半藤さんの堪忍袋の緒が切れ「清張さんッ、たまにはゆっくりとビールを、せめて二本、飲ましてくれぇ」と悲鳴を上げると、「そうか、なるほど、面白いもんだ。酒飲みというのは干乾しになると、そんな大声を出すのか」と、さっそく次の小説のモルモットを視るかのようにジロジロ観察を続けたことなど、微笑ましいエピソードも満載。
司馬さんがなぜ歴史小説の大家になったかのヒントになるようなエピソードも載っています。学徒出身の陸軍少尉として22歳の司馬さんは、本土決戦に備えて、栃木県佐野の小学校に駐屯していました。東京から来た大本営参謀に「米軍が上陸したら、東京から大八車を引いた避難民が街道にあふれます。その連中と迎え撃つために南下する部隊との交通整理はあるんですか。」と訪ねたところ、初めて聞いた風でぎょっとして考え込んだその人は、すぐに「ひき殺していけ」と言ったそうです。それが司馬さんが思想や狂気を尊敬しなくなった原点で、あの戦争をした日本民族とは何なのかという疑問が、司馬さんが歴史小説を書き続けた原動力のように感じます。
半藤さんは、司馬さんに昭和史を題材にした小説を何度も要望したのですが、準備を重ねながらついに書くことはできなかったそうです。戦争前後に青春時代を送った司馬さんに戦争について否定的な面を書くことは、自分も否定することになるので書けなかったのでしょうか。逆に清張さんの場合は、大人になった後で、時代の雲行きが怪しくなり32歳で太平洋戦争に突入しているので、離れた視点から戦争を見ることができ、誰がどういう動機で戦争に持って行ったのか、官僚や組織の狂気を冷徹に捉え、民衆の視点で批判することが可能だったようです。松本清張は今まで読んだことがなかったのですが、俄然読みたくなりました。
昭和史の大家、半藤一利氏が書くことで、両大家の実像に迫りながら、昭和史の実像にも迫る内容となっています。短いエッセイの連続でエピソード満載の読みやすい内容なので、気軽に手にとってみてください。
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